雑誌『歴史群像』2011年2月号(No.105)読了
「雑誌『歴史群像』2011年2月号(No.105)」を読みました。
この号の特集は以下の通り。
第1特集「奉天会戦」
第2特集「作戦研究 関ヶ原合戦」
第3特集「第三次ソロモン海戦」
この3つの特集の中で見るべきは「作戦研究 関ヶ原合戦」です。「小早川秀秋が裏切ったから東軍が勝った」という通説に異を唱える良記事です。ただ、この記事にやや違和感を感じるのは、この記事の主張をすべて認めるならば、小早川秀秋が戦局を判断できる非常に優秀な実戦指揮官になってしまうことです。関ヶ原の3年前の慶長の役では指揮官として不適切な行為を繰り返した秀秋(ちなみに秀秋が小早川家に養子入りするのは文禄の役後の休戦期間中であり、したがって秀秋は文禄の役は不参戦)が、そこまで急成長できるだろうか、という疑問があります。本記事では、通説にいうところのいわゆる「誘いの鉄炮(裏切りを決心しきれていなかった秀秋が、家康軍から鉄砲を撃ちかけられて慌てて裏切りを決行したという、その契機となった鉄砲のこと)」を非現実的として全面否定していますが、裏切りを主導したという秀秋の家老衆が裏切りの手筈として何らかの合図を密約していたとしても不思議はなく、その合図が密約の第3者から見ると「誘いの鉄炮」のように見えたのかもしれない、と仮説を立てれば秀秋の急成長は不要となり、より自然な新説と成り得るように思います。ただ、この違和感を除けば本記事はかなり面白い内容に仕上がっており、一見の価値ありです。
あと、非常に価値ある記事としては第二次大戦末期のレイテ沖海戦に「大和」通信士として従軍された都竹氏のインタビュー記事です。レイテ沖海戦で今でも議論される栗田艦隊の「謎の反転」ですが、その点について、まさにその当時に「大和」艦橋に勤務されていた方の証言が掲載されています。従来、栗田艦隊の作戦目的はレイテ湾でアメリカ船団を撃滅することだとされていますが、氏は栗田艦隊の目的を「艦隊決戦」だと断言され、北方に敵機動艦隊が存在するとの情報(結果として誤報だったのですが)がもたらされたために反転したのだ、と証言されています。確か、捷号作戦の作戦目的にはアメリカ船団撃滅が明記されていたはずですが、氏の証言が真であるならば、紙の上の作戦計画に何と書いてあろうとも、現場の将兵の意識は依然として艦隊決戦を渇望することを辞めていなかったということでしょうか。今後の研究を待ちたいところです。
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