太平洋戦争④読了
歴史群像シリーズ「決定版 太平洋戦争④『第二段作戦』連合艦隊の錯誤と驕り」を読みました。
第4巻は1942年の3月から6月のころで、なんと言っても最大の事件はミッドウェー海戦です。
論点はミッドウェー海戦にはなぜ敗れたのか、ということと、よしんば勝っていたとしても、そもそもミッドウェー作戦自体が第二段作戦として妥当だったのか、ということです。
もっとも、負けるべくして負けた太平洋戦争の中の一作戦について、その妥当性や敗因を議論しても実りが少ないような気がするかもしれませんが、そうではない部分もあります。確かに、ミッドウェー作戦を多少巧みに戦って有利な結果を得ていたとしても、戦争全体の帰趨には大した影響は与えなかったであろうとは思います。ここで負けなかったとしても、そう遠くないうちにどこかで日本軍は大ミスをやらかしたでしょうし、たとえミスを極限して後世にも賞賛されるような健闘を成し得たとしても、国力10倍以上、文字通り桁が違う国力の差を前に早々にジリ貧になっていったでしょうから、軍事的な技術論は議論の根本では無いのです。
一方で実りのある部分というのは、組織論の部分です。日本には現在でも、日本軍と同じような欠陥を抱えた組織が存続し、あるいは新たに誕生しています。これは日本人の組織への誤解や無理解、組織運営技術の未熟さであるとか、あるいは組織というものと日本の精神文化との親和性に低さなど様々に原因が考えられます。そして最大の問題は、敗戦から70年近くを経た今も、これらの問題が解決されていないということです。
日本人にはやや自虐的なところがあって、「組織」と日本人が不適合だという現実を前にすると、「だから日本人はダメなんだ」というような論調が主流を占めてしまうことが多いと思いますが、一般的に言って「AとBが不適合」という問題へのアプローチは2つあって、1つは「AをBに近づけること」、もう1つは「BをAに近づけること」。そして現実の問題解決にあたっては、この2つのアプローチを適度に組み合わせることになります。つまり日本人を組織に適合させるアプローチも必要ではありますが、組織を日本人向けにアレンジするアプローチがあっても良く、両者を組み合わせて「新しい日本人」と「新しい組織」を作ればよいのです。
組織論の中では「意志決定のプロセス」というのが非常に大きなテーマなのですが、日本的精神文化の中で最大の問題だと私が思うのはエラい人の鶴の一声がまかり通ってしまうということです。各組織にはそれぞれに意志決定のルールがあると思います。そのルール自体が問題を抱えていることももちろんありますが、ともかくもルールがあると思います。しかし鶴の一声は、このルールを完全に台無しにしてしまう恐るべき破壊行為です。本書によるとミッドウェー作戦も山本五十六の鶴の一声で押し通されたということのようです。この記事が正しいかどうかは分かりませんが、このような問題を抱える組織は今もたくさんあると思います。
これがどのような弊害をもたらすかというと、まず社内の派閥化をもたらします。エラい人とどれだけ親しいかによって意志決定に関わる自分の役割の大小が決まってしまうのですから、組織の構成員はエラい人と親しくなることに努力を傾注することになります。独裁的な組織ならばまだ求心力を一元化できますが、エラい人が複数存在する場合は求心力が分散してそれぞれが派閥化します。派閥間の対立は組織の内部対立ですから、ここに費やされる努力は組織の外部からの評価を高めることには貢献しません。派閥間対立が激しくなるとそれだけ努力が無駄に費やされることになり、組織の外部評価は下がっていきます。これは社会から見ると、無駄な人間集団を社会内部に抱え込んでしまうことになり、この無駄な連中を支えるために無駄な犠牲を強いられることになります。例えば、無駄に高価なものを買わされたり、無駄な手続きを強いられたりします。
次の問題は組織内部のチェック機構が無効化されてしまうということです。意志決定のプロセスにはその決定事項が正しいかどうかをチェックする手順がほとんどの場合含まれます。「正しい」というのは、法律的に正しいとか、人道的に正しいとか、経済合理性から見て正しいとか、いろんな意味の「正しい」がありますが、ここではどの意味の「正しい」であるかはとりあえず置いておきます。で、組織は過去の失敗経験などからいろいろなチェックを意志決定プロセスの中に積み重ねています。それによって組織の暴走を食い止める防波堤としているのですが、鶴の一声に対してはチェック機構が働きません。エラい人の意見をチェックできる人間は日本の組織には存在しません。上の派閥化の内容とも重複しますが、鶴の一声のある限りエラい人と敵対することはその人にとって決定的に不利になります。そのため、エラい人の意見を組織内部の人間はチェックできないのです。「チェックする」というと、一読して内容を確認する、というような行為を想像する人がいるかと思いますがそれだけではありません。確認した上で、おかしいと思ったときには反対する、ということが「チェック」の本質です。反対できないなら「チェック」はできないのです。見るだけの行為はチェックとは言いません。
今でも多くの企業の不祥事でトップの暴走をいかに食い止めるか、ということがほぼ毎回のように問題になりますが、裏を返せば現在の日本にはその答えは存在しない、ということが現実なのでしょう。
今の民主党のように、誰が何を言っても何も決まらない組織も困りますが、逆にエラい人が発言すれば何でも決まってしまう組織も困りものです。両極端なんですよね。組織の秩序も平等の理念も、それを原理主義的に墨守するのではなく、柔軟に運用することが求められます。
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