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2011年3月

上杉謙信読了

新・歴史群像シリーズ第16巻「上杉謙信」を読みました。

なぜこの時期に謙信か、というと次の巻が2009年大河ドラマタイアップの「直江兼続」なので、その予習の意味かな、と思いましたが、ちなみに本巻に兼続は一度たりとも登場しません。

特に目新しい内容はありませんでしたが、気付いたのは「謙信は足利将軍家への忠義一筋でもなかった」とか「謙信も戦場で人狩り(人身売買用の奴隷狩り)をおこなっていた」とか、謙信のイメージにはマイナスになるような記載があちこちにあることです。歴史群像は学術書ではなく商業誌であり、商業誌であれば、例えば今回の「上杉謙信」で言えば主役である謙信ファンが購買層として想定され、したがって謙信のことはあまり悪しざまには書かないものです。むしろ美化されることも少なくありません。これは商業誌に限らず、NHKの大河ドラマなどでも見られる行為ですが、特に謙信のような地域の英雄とされるような人物には当該地域に「信者」が多いこともあり、そういった人はとりわけ美化したがります。そのような状況下で、商業誌で主役の暗部を記載するというのは、なかなかできることではなく、事実歴史群像シリーズも主役に関して後世に成立したような逸話を史実であるかのように紹介したりすることで主役を美化することも多々ありました。ですので、今回記述量は非常に少ないですが、謙信の暗部にも言及していることにはちょっと感心しました。

あとは上杉軍の強さの秘密に迫る!っていうので、「動員力、編成、装備、戦略、戦術、兵質、将才など、さまざまな角度から考えてみたい」という意気込みで分析するのですが、結局強さの秘密はよく分からず、「やっぱり謙信って天才だよね」っていう結論で終わってるのはちょっと笑えました。

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大清帝国読了

新・歴史群像シリーズ第15巻「大清帝国」を読みました。
この時代の中国に関してはほとんど知識がなかったので、かなり面白かったですね。

歴史群像シリーズで中国史といえば三国時代がメインで数冊刊行されており、他には春秋戦国、秦・始皇帝、項羽と劉邦、時代がはるかに飛んで満洲帝国あたりがありますが、清の時代の中国が取り上げられるのは初めてです。

清朝は、北京入城から滅亡まで約270年、前史も含めれば300年を越える歴史があり、それを一冊のMOOKにまとめてあるので内容的にはかなりダイジェスト版と言っていいと思います。清の通史すらほとんど知らなかった私だからこそ楽しめたのであって、この時代に詳しい人にとっては物足りなさがあるかもしれません。しかし、通史としては非常によくできていると思います。歴史群像シリーズの例にならって軍事偏重の構成ではありますが、清朝の統治機構や、末期の洋務運動や変法運動などの政治史も取り交ぜてあり、素人にとっては分かりやすい本になっていると思います。

日本で清朝といえば、アヘン戦争や日清戦争で敗れヨーロッパ諸国や日本によって半植民地化された老大国というかなりマイナスなイメージを持たれていると思いますが、建国当初は東方進出してきたロシアとも互角どころか有利にわたりあい、周辺諸国へも出兵を繰り返した強国だったんですね。産業革命以前であれば、世界に名だたる大国の一つだったと思います。ただ、産業革命は歴史の流れから言えば異例というか、これでヨーロッパ以外の全世界が旧文明化してしまいました。清朝もその例に漏れなかったのですが、清朝にとってなお悪かったことは長期独裁政権には必ず付いて回る政権腐敗の進行と産業革命とが時期的に重なったことだと思います。

政権建設の時期が近く、そして外圧によって滅びたという点で日本の徳川幕府と清朝とは符合するところがあるのですが、なぜ日本の明治維新が成功し、中国の洋務運動や変法運動が失敗したのか、という考察には興味深いものがあります。本書での議論は紙数が少ないこともあって消化不良な感じはあるのですが、一度専門書を読んでみたいという気になりました。先にも述べましたが長期独裁政権は必ず腐敗します。その腐敗の度合というのが、これは客観的に明示するのは難しいですが、公人が公益(国益)と私益のどちらを優先するか、という命題について、日本の政権上層部つまり武士層の方が比較的公益(国益)を重視していたという点で、腐敗の度合が「マシ」だったように思います。それは結局清朝は満洲民族による征服王朝であって、政権の目的が漢民族を含む非征服民族からの収奪であり、民衆と政権との間に一体感が乏しかった、「国家」という意識が乏しかった、のではないか、それゆえに政権上層部において「国家」のために痛みを伴う改革を受け入れるという世論が形成されなかった、それが改革失敗の原因ではなかったかと思います。

日本においても、徳川幕府の存在目的が武士層による農民層からの収奪である、という点では同じなのですが、日本の場合は支配層である武士層と、被支配層である農民層とが同一民族であり、その間には民族的な断絶はありませんでした。したがって清朝に比べると民衆と政権の距離が近かったと思われます。そのため、武士層内において日本を「国家」と見る意識が成長しました。明治維新は民衆革命ではなく、あくまで政権上層部における主導権争いに過ぎないのですが、「国家」の改革の必要性を受け入れ改革を断行する側が勝利を収めたという点で、政権上層部の腐敗の度合がまだ「マシ」だったと考えてみたわけです。

ちなみに巻末に人物事典が付いているのですが、わずか20人の人物の略歴を集めただけで、清朝300年の人物を「網羅」している、と煽り文句を入れるのはどうかと思いました。

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