徳川家康読了
新・歴史群像シリーズ第12巻「徳川家康」を読みました。前巻「信長と織田軍団」の奥付では次巻は「土方歳三」となっていたのですが、実際に発売されたのは「徳川家康」。このあたりどのような事情があったものか、どなたかが原稿を落とされたのでしょうか。
徳川家康といえば大物ですからその生涯は語り尽くされているものと思われがちですが、本書で目を引いた執筆者に平野明夫氏がおられます。私の記憶が正しければ、平野氏が歴史群像シリーズに記事を書かれるのは初めてではないかと思います。この方の肩書は「國學院大學講師」となっておりまして、Webでググってみましたが、戦国から織豊時代(つまりメインは家康の時代)の松平氏、三河周辺の歴史を研究されている方のようです。平野氏は本書に3本記事を載せられており、新説を展開されています。家康幼少時の人質時代、通説では今川駿府館に過ごしていたとされていますが、実は三河吉田城に在ったのではないか、というものです。吉田城は当時今川氏の三河進出の最前線で、東三河の抑えを務める一大拠点です。平野氏は、家康は吉田城に8歳から12歳(満年齢)まで居住していた、としています。
また、他の記事にも印象的な記述がありまして、徳川家といえば織徳同盟(清州同盟)によって、あくまでも織田家とは盟友の関係である、というのが通説だと思います。たしかに織田信長の晩年のころは織田家と徳川家の勢力にはかなりの差があり同格と見做すには厳しい部分があり、特に武田攻めののちには駿河一国を信長から「与えられ」、しかもお礼言上のために上洛する、という同格とは思えない事態が生じているのですが、それでも徳川家は織田家からは独立した一大名家であると漠然と考えてきたところがあると思います。しかし平野氏は、この信長晩年の徳川家を「織田大名」であると明言し、小牧長久手の戦いで家康が織田信雄を担いだのは織田大名として織田家督の信雄に忠誠を尽くすという意味合いである、と説かれているのです。確かに言われてみればそうだなぁ、という感じはします。もちろん、徳川家が織田家と同格の大名から織田臣下になった契機というのは明確には存在しないのでしょうけれども、実際の実力差から言って賢明な家康であれば信長の前では名分にこだわっても無駄だ、織田家と対等に渡り合うような政治力も軍事力もない状況下では臣下の立場と扱われても従うほかない、と判断するでしょう。
あと、他の方の記事でちょっと納得いかなかったのは、関ヶ原前の家康の行動に対する石田三成の弾劾状「内府違いの条々」に対する評価の記事(執筆者:宮本義己氏)で、「条々」にある13ヶ条は全て言いがかりであって家康にはまったく非はなく、この頃の家康には豊臣家から政権を簒奪する意図はまったく無かった、とする主張です。「条々」にある私的婚姻問題(秀吉が出した、大名間の婚姻は許可なくおこなってはならない、とする法度に背いたといわれる問題)も家康に非はないと断定されていますし、これら婚姻も家康の野心を表すものではない、と主張されていますが、読んだ感想としては、いくら何でも、それは家康を贔屓目に見過ぎじゃないかと思いました。私的婚姻問題については前田利家生存中に四大老五奉行から詰問されているのであって、五大老五奉行内において家康の立場に理解を示す者は一人もいないのです。当時の大方の見方として家康の行動には問題があると認識されていたのではないでしょうか。しかもその同じ宮本義己氏が本書の中で「閨閥ネットワーク戦略」として家康の婚姻政策の戦略性について1本記事を上梓されているのです。これでは自己矛盾ですよね。
他の記事に関しては、通説通りというか、特に可もなく不可もなくといった感じです。中には「徳川隠密組織」なんていう記事もありまして、読む前は伊賀だの甲賀だのが出てくる、伝説や小説の域を超えないトンデモ記事なんじゃないか、と思っていましたが、読んでみたら確かに伊賀甲賀は出てくるのですが、彼らは江戸幕府の制度の中に取り込まれ江戸城の警備を主任務とするように変わりいわゆる隠密的な活動はしなくなった、というもので、わりと冷静な主張がなされていてホッとしました。代わりに8代将軍吉宗が御庭番という組織を作り、以後将軍直属の諜報組織として活躍した、と記されていますが、まぁ本書の主旨から言えばちょっとした蛇足の範囲でしょう。
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